心を師としてはいけない

お釈迦さま最期の説法となった『涅槃経』に次の言葉があります。

 

願わくば心の師となるとも、心を師とせざれ

 

この最初に出てくる「心」は「仏さまの心(願心)」です。そして次に出てくるのは「私を中心とする心」ということです。「師」とは導くはたらき・存在ということ。

 

私たち人間がどう生きようとするのか、迷ったときに何に依って選択し歩み出そうとするのか。

 

お釈迦さまは、迷いを超えた真理を師とし、迷い続けている者の心を師としてはいけない、と遺されました。

 

80年の生涯を、さまざまな苦悩を抱えながら生きる人々と共に生きたのがお釈迦さまです。

 

今、私たちは様々な問題と向き合って生きています。

 

新型コロナウイルス感染症によって露になった他者への不寛容さと想像力の乏しさ。

 

ツイッターやフェイスブックなどのSNSによって誰かを集中的に叩き、最悪その人のいのちさえも奪ってしまう暴力性。

 

黒人・白人という人種差別、ジェンダーに関わる差別。

 

また先日(7日)発生した九州豪雨被害といった災害とも無関係でもありません。

 

この「身」は時代社会を生きています。

 

お釈迦さまが真理に目覚めたという事実は、迷いの正体・その根っこを知ったということに他なりません。

 

今一度迷いを見極めたお釈迦さまが遺されたお言葉に耳を傾けたいと思います。